2010年4月23日金曜日
意外で身近な歴史
「みなさんは身の回りに何十年も前に出来たものを所持していますか??」
って質問されたらたぶん大体の人が「所持していない」って答えると思います。
僕もいろいろ考えても携帯や財布、服にしても家電にしても最近、いっても何年か前レベルのものしかありません。
そもそもなんでこんな意味のわからない質問が頭に出てきたのかというと、コンビニにタバコを買いに行ったとき手に握りしめていた小銭をふと見た瞬間のことでした。
100円3枚と10円2枚どれも「昭和40年」以前のもので、普段なんにも考えたことなかったけど、その小銭はこの昭和40年頃から現在という約40年あまりずっと流通し続けていま僕の手の中にあるんだ。って思ったからです。
こんな小さな「もの」がなくなることなく40年回り続けてるってことはしょうもないけどすごいことだと思います。途中溝に落ちたり自販機の下に転がったりと数多く消えていく中で、消えることなく40年前の人から現在の人へと回ってるこのお金の、「もの」としての重みを感じました♪♪じゃあ今家にある聖徳太子の一万円とかもっとすごいんかなって感じです。お金は当然価値あるものですが、「もの」としての歴史の価値も感じてみてもまた今以上に価値あるものになると思いますよ☆
ということで今日の勉強
「戦陣の間は、詐欺を厭(いと)わず」
(本文引用)
舅犯(きゅうはん)という重臣が晋の文公(重耳)にいった言葉で、戦争の場合には、あえて謀略をもって敵を欺くこともしらなければならない、という意味である。戦争の手段にきれいも汚いもない。要は、ありとあらゆる手段をつくして相手を騙し欺き、最終的に勝利をものにすることだと「非韓子」は説いている。「孫子の兵法」にいう‘兵は詭道(きどう)なり’も、これに近い。
一般に日本人は、ぺテンや謀略というものを嫌う傾向が強いのではないか。しかし、ぺテンや謀略は、人間の社会にはつきものである。まして国と国との戦争ともなれば、日常茶飯事といってよい。謀略やぺテンは、それを仕かける側が悪いというよりは、その罠にかかるほうが甘いのである。
(ここまで)
これはちょっと厳しいかもですが、社会自体が性悪説的な感じであり、個人としても嫌でも合わせていかないと成り立たないのは確かなんじゃないかと思います。
なら騙し欺くことの特訓をしていくのか?ということになれば、そんなにも悲しいことはありません。
むしろ騙されない欺かれないよう特訓していくってことの方がいいのはいいんでしょうね。
どちらにしても「人を簡単に信用するな」ってことになるので、結局悲しいですけど・・。
「ライアーゲーム」とかまさにこのことなんですが、何があっても神崎直よりでいたいものです☆ ゆうすけ